書評‐村上龍「歌うクジラ」-村上龍版「神曲」

電子書籍版のみの発行(書籍化予定あり)・価格が1500円という事で、物理的にも金銭的にもアクセスのしづらい「歌うクジラ」ipadを購入してまで読む価値はあるかというと残念ながら首を傾げるが、アクセスが出来る環境にあればぜひ読みたい一冊。何せ村上龍という超メジャーが送る、生粋の電子書籍第一弾。ボリュームも600ページ超とお徳だし、坂本龍一の音楽も流れる。そして何より電子書籍元年、この媒体が本当に「読める」ものか知るには丁度いいだろう。


本書は、「半島を出よ」ほどではないが(上下巻1000p&人物紹介20p超)それでも非常にタフな読書を要求される。なにせ舞台は2122年、ましてや不老不死の遺伝子が発見・人間の遺伝子に組み込む事が可能になったという、文化を根底からひっくり返す設定。今からは想像できない階級ごとのすみわけが完全にされている舞台やその歴史の流れを構築しながら進むので、自然読み進めるのには力がいる上に、描写の緻密さは折り紙つきの村上龍だから、押して図るべきだろう。しかし最初は読み進めるのが苦痛だったとしても、いつの間にか「新出島」「クチチュ」「無限軌道車」「宇宙エレベーター」すぐ隣にある現実になっている。


そう、冒険小説としては氏の緻密さは欠かせないのだ。SFテキな世界観ではこうしたタフな描写によって世界が世界足りえる。実際に、比喩表現が登場するのはほんのいくつか。ほとんどはディテールで世界は描かれ、ずっしりと重い手ごたえがある。なにせ作中で村上龍はこう語っているのだ。「あの子の指は芋虫みたいだ、と比喩をつぶやけば表面をなぞるだけで現実に接触しないですむ。比喩は逃避だ。」死や生や性は「死」や「生」や「性」として生のままで描かれる。


「比喩」を壮大な仕掛けとしてして飲み込むラストは、圧巻。ネタバレ乙だが、「比喩は逃避」。だからこそ、現実からの逃避「歌うクジラ」を巡る「比喩」は、さりげなく、最後にそっと明かされるのだが、この世界に重くずっしりとのしかかっている「比喩」の耐えられない軽さはぜひぜひ体験して欲しいところ。


話は変わり、電子書籍としての「読書」体験。
書体は横書き。文字の大きさは単行本ほどあり、画面の明るさもアプリ内で調整できるから、視認性は良好。読むことには困ることはなかった。ブックマーク機能はありがたかったが、全文検索機能を、もっとも欲張れば文章引用の機能が欲しいところ。せっかくの電子書籍。やるんだったら、ブックレビューを書きやすくするくらいの「粋」が欲しかった。電子書籍の「粋」には今後に期待ということで。


ちなみに僕は、通勤時間中で「歌うクジラ」を読んだ。幸いにして電車で座れるので、多少視線が気になるくらいで、当初心配していた紙の本と違う電子書籍の読みづらさは感じない。ただ立って読むには少々つらい。僕の場合、立って読む時には、つり革をつかんでいる左手を軽く曲げ、そこの部分にipadを置き、右手でさらにipadを支えながらページ繰りをしながら読んだ。ある程度の身長・手の大きさが必要だから女性には少々難儀だろう。片手でも読みすすめる事もできるが、指の力が必要。長時間だとさすがにつかれる。寄りかかりながら両手で読みたいところだ。満員電車はいわずもがなだろう。
あと「歌うクジラ」の困ったところは、曲が流れるところ。ipadで音楽聴かない&そもそもイヤホンをつけないので、油断をしている時に、不意に電車の中で音楽が鳴る。電車内では結構恥ずかしいので注意をば。正直、あってもなくても良いと思うので、イヤホンをつけない人で電車内での読書をする人は、更に目立つので音量を最小にしましょう。