書評‐平野啓一郎「ドーン」‐未来から現在への架け橋どーん!!

ドーン (100周年書き下ろし)「決壊」を読み、あれ平野啓一郎っておもしろい?となり、「ドーン」で、ああ平野啓一郎って面白いんだ、と初めて実感した。処女作「日蝕」で平野作品を挫折した人は意外に多いんじゃないかと思う。ご他聞に漏れず僕も敬遠していた口だが、そんな挫折感を取っ払ってくれる2(3)冊。


決壊 上巻決壊 下巻

2冊とも長い上に読みづらい部分もあるから、ある程度まとまった時間を取って読みたいところ。どうしても1冊というなら、個人的に「決壊」を押したいが、「平野啓一郎って読みづらい・意味分からないよね」と思っていた人には、「ドーン」がおすすめ。読み応えがありエンタテイメントにも優れている。ドーンなんて擬音の勢いだけではない、読書を十二分に堪能させてくれる。




有人火星探査機「ドーン」。2036年。ネット国家「プラネット」。分人主義。本書のイイところは、SFはSFでも「ちょっとフィクション」なところ。本書の舞台である2036年まで、あとたったの26年。そう、「ちょっと」考えれば想像充分の範囲内なのだ。例えば分人主義というキーワードだって、人との付き合い方を変える自分という、昔からあるものに、市民権を与えたに過ぎない。未来は「ちょっと」頑張って想像すれば、それは「今」へと、手繰り寄せ、置き換えることができる。



それでも、日本人は「戦争」を選んだ


歴史は、ある事象と事象の点を結びつけ、ラインを描く事。そのラインを伸ばし現在へ繋げるのが歴史を学ぶ事だと、例えば、加藤陽子「それでも日本人は戦争を選んだ」などでも、それを高校生に向けていっているけれど、本書は未来の事象と事象の点を結び、それを現在へと繋げるという逆から「今」を考えられる小説になっている。「ちょっと」フィクションのイイところだ。


歴史は過去だけではない。未来もまた歴史。「ドーン」はSF的な点から始まり、最終的には誰を大統領に選ぶか、いやこう言い換えよう、どんな生き方を人間は選ぶのか、というある意味純文学テキなという問に回帰して行く。ドーン」という小説は「未来」から「現在」へ向かう小説なのだ。明日人と今日子がどのようにして、手を結ぶのか。明日と今日のラインが通じたとき、そう、「愛は取り戻せる」のだ。
という訳で帯の煽りになる訳だが、ここが唯一残念なところ。煽り文で、ある程度ラインを制御されている、要らない親切はどーなんよと。だけどれど、エンターテイメントと純文学テキなものを結ぶ「ドーン」は小説好きなら間違えなく必読の書。

7月に入る頃には、みなさんそろそろ、『1Q84』も読み終わっているでしょうから(笑)、この夏の読書は『ドーン』ということで、ひとつよろしくお願いします!
平野啓一郎webサイト

1Q84』からもう1年。さすがにどんなに遅読な人も読み終わっている時期だろうから、腰の低い平野啓一郎のために、この夏の読書にどうぞ(笑)